「ヒロシマ」という場所の結晶化 [メディアから]
彦坂尚嘉氏のブログで
写真家・笹岡啓子氏の個展が開催されていることを知った。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-25
場所は月島のタマダ・プロジェクト(大きなギャラリーです)
http://www.tamada-pj.co.jp/project/gallery.html
この作家は30歳、広島出身で
彦坂氏によると
「その写真には、広島を見つめて来た眼が、
そのまま広島の外の世界を見ているという、
特権的な眼差しがあります。」
とのことで、素晴らしく良い展覧会らしい。
「ヒロシマ」からのまなざしが表現としての強度を創り出し 、
きわめて優れた、硬質の写真となったのであろう。
先日DVDで観た「夕凪の街 桜の国」も(原作は優れたコミック)
60年を経た「ヒロシマ」が結晶化して生まれた美しい表現だと思う。
(映画がやや冗長なのは残念だが)
http://www.yunagi-sakura.jp/news.html
この美しさはしかし、爆心地付近の公園にある
公共彫刻のような、傷を覆い隠すごときデザインとは違う。
もっと内側から、傷口そのものが輝くような不思議な崇高性である。
そして和田賢一氏の絵画もそうした系譜であると思った。
http://www.kawag.net/page069.html
2月、氏自身も被爆者の列に加わってしまった事はあまりにも衝撃だった。
「ヒロシマ」は現在も継続中であり、「過去の出来事」ではない。
「彦坂尚嘉のエクリチュール」 [メディアから]
寂しさという到達点 [メディアから]
彦坂氏のブログで「宮沢りえ」が批評されているのを拝見した。
氏の評言は、「女優」と言う存在に投げかけられたもっとも感動的な賛辞ではないだろうか。
宮沢りえの表徴する「寂しさ」は彼女の個人的な問題を越えて、
現代の日本のある到達した地点に伴う「寂しさ」となっているように思う。
21世紀になってすでに21万人を超える自殺者を出している日本にあって、
何らかの形で「寂しさ」を表徴しない表現は虚偽であるとさえいえるかもしれない。
世界的には「寂しさ」どころではない訳なので、普遍的な価値があるかどうか分からないが
ともかく現在の日本の表現者が表出しうるリアリティとして、「寂しさ」を強く支持したいと思う。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-19
辞書を食った男 [メディアから]
9日の毎日新聞のコラムで、100年前に太平洋戦争や日本の敗戦を予想し、憂いた本を書いた人がいた事を知った。本のタイトルは「日本の禍機」著者は朝河貫一、当時彼はアメリカの名門エール大学の講師(のちに教授)であった。(今でも購入できます)
100年前にエール大学で教えていた日本人がいたなどとは知らなかった。
英和辞典を1日2ページ暗記し、憶えたページを食べてしまったというのは彼の中学時代のエピソードらしい。
この人の学者としての専門はヨーロッパ中世史だが、思想家としての大きな業績は比較文化史による日本の封建制の起源で、それがアメリカの学会で高く評価されていた。戦後の学者のように自虐的に封建制を批判するのでなく、むしろ欧米人に日本の美徳を伝える使命感を持って、「武士道」の起源として研究していたようだ。
とはいえ国家主義や国粋主義には反対の立場で、戦争を遂行する日本の軍部を常に批判していて、天皇宛の大統領親書の起草までしている。南京の虐殺事件では「武士道にもとる」と批判しているのが面白い。サムライなのだ。
アメリカでの学生時代(19世紀ですよ!)クラスメートのつけたニックネームがまさに「サムライ」だった由。首席ではあったが差別を受けてもおかしくないのに、尊敬を集めていたというから、単に学問で秀でただけではないのだろう。(その28年前に留学した高橋是清は、なんと奴隷に売られている)
彼の父親、正澄は正真正銘の武士----武芸者で、18歳の時早くも小野派一刀流の目録と薙刀の極意を伝授されており,また,漢学・国学を修めたぱかりでなく,槍術や馬術・砲術・柔術についても励み、25歳で結婚し、小学校の教師となっている。(昔の教員が尊敬されたというのは、こうした武士階級の出身者たちであった事を考えると納得がいきますな。)
朝河貫一は、意外にも生まれた頃言葉が遅く、発育も不良だったらしい。そのため心配した父母から幼少の頃、かなり丁寧に学習の手ほどきを受けた。そして彼は無類の勉強好きに育ち、中学卒業時には英語で答辞の演説をするほどだった。これは予定外の行為で、居合わせた来賓父兄は目を白黒させていたという。内容も卓越していたらしく英国人教師は「将来、世界はこの人を知るだろう。」と語ったと伝えられている。
校内でことさら実力を披瀝する必要のない彼が、わざわざ理解する人の少ない英語でスピーチをしたのは思うに、公衆の前で英語で演説すると言う事のトレーニングとして実行したのであろう。アメリカの大学教授になったのはすでにこの時点で志を持っていたのではないだろうか。
英和辞典を暗記して食べてしまった話は当時の逸話で、私も中学の恩師から聞いた事があるが、正直実話とは思わなかった。。残った表紙は桜の木の根元に埋めたらしい。福島県郡山市の安積(あさか)高校には今もその桜が「朝河桜」として現存しているという。
ミャンマー軍事政権の弾圧 [メディアから]
ミャンマー軍事政権の弾圧に対する抗議声明をASEAN各国で出しているようだが、日本政府の声明はさっぱりだ。共産党すら対岸の火事として扱っている。赤旗を覗いても「こんな抗議声明がだされています」と言った調子だ。
それに引き換え民間では盛んに署名活動が始まっている。長井カメラマンの葬儀も8日に予定されているようだ。自分なりの意思表示をしたいと思う。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/b837fbd7a0c373bc76345b48b81180c8
スーチー女史 [メディアから]
美術家の彦坂氏によるスーチー評は大変感動的だった。
http://blog.so-net.ne.jp/hikosaka/2007-10-01
アフガンの故マスード将軍もあんな顔をしていたと思い出す。
世界中が彼女を見守っている。どうか無事でいてくれと祈る気持ちだ。
我が国の福田総理が彼女を支援するようなことができれば一気に株が上がるのだが。
子供電話相談室 [メディアから]
ラジオの子供電話相談室を聞くとも無く聞いていたら、低学年の女の子が「体操はいつ始まったのか」と聞いてきた。これは近代教育の根幹を問う、すごい質問だと思う。小さな子は時々深い内容の根源的な問いを投げかけてくる。回答者の日体大の先生は、おそらくそうした問いが浮かぶことすら無かったのだろう。「とっても昔からあると思うんですが…勉強してみます。」と、何とも情けない答え。とはいえ、一冊の書物が書けるくらいのテーマである。私は個人的には、小学生に体操は必要ないと思っている。賛同する人は少ないと思うが。
ブルータスで国宝特集 [メディアから]
雑誌「ブルータス」で国宝特集をしている。
さまざまな分野の名品が出ていてなかなか楽しい。
その中で、「現代美術は国宝になるか」とあった。
国宝は基本的に工芸品だ。
現代美術は基本的に工芸性を否定する近代美術の遺伝子を受け継いでいる。
だから大部分は入るまい。
しかし最近は日本画だろうが工芸だろうが「現代アート」とやらに入っているので、
現代美術とされる作品も工芸として精度があれば入るかもしれない。
しかしまず、重要文化財にならないと。そうすると、まあ近代美術の次だろう。
岸田劉生の麗子像は重文になっているので何十?年かしたら国宝になるかもしれない。