辞書を食った男 [メディアから]
9日の毎日新聞のコラムで、100年前に太平洋戦争や日本の敗戦を予想し、憂いた本を書いた人がいた事を知った。本のタイトルは「日本の禍機」著者は朝河貫一、当時彼はアメリカの名門エール大学の講師(のちに教授)であった。(今でも購入できます)
100年前にエール大学で教えていた日本人がいたなどとは知らなかった。
英和辞典を1日2ページ暗記し、憶えたページを食べてしまったというのは彼の中学時代のエピソードらしい。
この人の学者としての専門はヨーロッパ中世史だが、思想家としての大きな業績は比較文化史による日本の封建制の起源で、それがアメリカの学会で高く評価されていた。戦後の学者のように自虐的に封建制を批判するのでなく、むしろ欧米人に日本の美徳を伝える使命感を持って、「武士道」の起源として研究していたようだ。
とはいえ国家主義や国粋主義には反対の立場で、戦争を遂行する日本の軍部を常に批判していて、天皇宛の大統領親書の起草までしている。南京の虐殺事件では「武士道にもとる」と批判しているのが面白い。サムライなのだ。
アメリカでの学生時代(19世紀ですよ!)クラスメートのつけたニックネームがまさに「サムライ」だった由。首席ではあったが差別を受けてもおかしくないのに、尊敬を集めていたというから、単に学問で秀でただけではないのだろう。(その28年前に留学した高橋是清は、なんと奴隷に売られている)
彼の父親、正澄は正真正銘の武士----武芸者で、18歳の時早くも小野派一刀流の目録と薙刀の極意を伝授されており,また,漢学・国学を修めたぱかりでなく,槍術や馬術・砲術・柔術についても励み、25歳で結婚し、小学校の教師となっている。(昔の教員が尊敬されたというのは、こうした武士階級の出身者たちであった事を考えると納得がいきますな。)
朝河貫一は、意外にも生まれた頃言葉が遅く、発育も不良だったらしい。そのため心配した父母から幼少の頃、かなり丁寧に学習の手ほどきを受けた。そして彼は無類の勉強好きに育ち、中学卒業時には英語で答辞の演説をするほどだった。これは予定外の行為で、居合わせた来賓父兄は目を白黒させていたという。内容も卓越していたらしく英国人教師は「将来、世界はこの人を知るだろう。」と語ったと伝えられている。
校内でことさら実力を披瀝する必要のない彼が、わざわざ理解する人の少ない英語でスピーチをしたのは思うに、公衆の前で英語で演説すると言う事のトレーニングとして実行したのであろう。アメリカの大学教授になったのはすでにこの時点で志を持っていたのではないだろうか。
英和辞典を暗記して食べてしまった話は当時の逸話で、私も中学の恩師から聞いた事があるが、正直実話とは思わなかった。。残った表紙は桜の木の根元に埋めたらしい。福島県郡山市の安積(あさか)高校には今もその桜が「朝河桜」として現存しているという。
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