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ジャコメッティと二人の日本人(7) [美術史]

凄まじい制作の苦悩 (矢内原伊作「ジャコメッティとともに」より)

11月20日 正午にサルトルを訪問する。ボーヴォワールとランズマンも
       来訪。その後アトリエに行き、いつものようにポーズする。

11月21日 「困難はいよいよ大きくなり、ぎりぎりの限界まで来ていた。
       そしてついにカタストローフが来た。
       
      「いつものように午後2時頃から始めて『難しい』『少しも
       進まない』『まるで無理矢理石を食べさせられているようだ』
      『もうどうしたらいいか分からない。』こういった悲観的な
       言葉をはきながら描いていたが、『糞!糞!』と叫んで、
       画布に向かって伸ばしていた手をハッと引っ込めてしまった。

       『糞!』彼は歯を食いしばり、凄まじい形相でぼくを見つめ、
       まっすぐにのばした腕で絵筆を画布に触れようとする。絵筆の
       先がまさに画布に触れようとする瞬間、電気に打たれたかの
       ように絵筆は引っ込められた。

       『駄目だ、私には画布に触れる勇気がない」と彼は呻いた。
        始めぼくは、彼がわざとそうしているのだろうと思った。
        が、そうではなかったのだ。『畜生!』と彼は足で床を
        蹴り、あらためて腕を延ばして絵筆を画布に近づける。

        が、またしてもはじきかえされるように腕は引っ込められた。
        そう言うことが三度も四度も繰り返された。『駄目だ』と彼は
        苦しそうな声を出した。そして絵を描くのを中断し、腰掛けた
        ままうなだれ、手で頭を抱え込み、長い間下を向いたままじっ
        としていた。

        こんなことはこれまで一度もなかったことである。これまでも
        彼はあらゆる悲観的な言葉をたえず発し、『駄目だ』『難しい』
        『苦しい』と言い続けて来た。言い続けながら、彼は休みなく
        絵筆を動かし続けて来たのだ。

        何日も何時間も、ぼくがポーズをしている限り、彼は描く手を
        一分と休めたことはなかった。その彼が五分たっても十分たっ
        てもうなだれたまま顔を上げない。

        ぼくは不安になって、『アルベルト、どうしたのですか。』
        と声をかけたが、彼は動かなかった。ぼくは座を立ってかれに
        近づいた。と、驚いたことに彼は泣いているのだった。

        彼は唇をかみ、手で眼を押さえていた。『アルベルト、どう
        したのですか』とぼくはくりかえして言い、肩に手をかけたが、
        それが合図になったかのように彼は忍び泣きの声を上げて泣き
        出した。

        『アルベルト』とぼくは呼んだが、それに続けてなんと言えば
        よいのか、言葉が出なかった。

         世界的に名声を馳せ、どの第一級の美術館も非常な高値で
        その作品を欲しがっている大芸術家、古い世代も新しい世代も
        抽象派の作家も具象派の作家も、批評家も詩人も哲学者も、
        多くの人がこぞって称賛と尊敬をおしまない働き盛りの五十五歳
        の彫刻家兼画家、しかもおよそセンチメンタルな要素のない、
        男の中の男ともいうべき剛毅の人。

        そのジャコメッティが制作に苦しんで人知れず泣いている
        などと想像できるだろうか。だが彼はぼくの前で泣いていた。」

★読んだ当時、実に衝撃的でした。ジャコメッティといえども制作にこれほど苦悩 したのはこの時期に特有のものだったようです。(---葉山の図録にある論文、ヴァレリー・フレッチャーの「ジャコメッティと矢内原--危機と打開」を参照されたし。)

なお、矢内原氏が書いている「男の中の男」という評言はフランスのARTE VIDEOのドキュメンタリーのタイトルと同じですね。このドキュメンタリーは白黒ですが、 英語字幕付きで1963年のジャコメッティがずっと語るものです。 これは翻訳して公開したいと思います。


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