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ジャコメッテイと二人の日本人(1) [美術史]

この3人の写真、誰が写っているかお分かりと思う。上段が越路吹雪、下段の
二人が石井好子と若き小林秀雄である。石井好子氏は芸能界だけでなく、文学
界でも一つの中心と関わっていた。そして矢内原氏を通じてジャコメッティと
親交があったことは良く知られている。

このシャンソン歌手石井好子氏のジャコメッテイ関連エッセーを入手して、考
えていた以上に深い交流があったことを知った。
改めて今年85歳の現役シャンソン歌手石井好子氏から観た1956年のジャ
コメッティと矢内原について考えてみたい。

ジャコメッテイ夫妻と矢内原伊作氏の交流はすでに世界美術史に登録されている、
つまり主要な評伝には必ず登場するエピソードである。

この三人に石井好子氏が加わり、4人の交流があった。歴史の小さな修正ではあ
るが、これはあの1956年のエピソードを補完するものであると思う。

(「さようなら私の二十世紀」「想い出のサンフランシスコ想い出のパリ」より
 1956年、有名なクラブ「ナチュリスト」で歌っていた頃)

花売りのフランソワーズが、「ヨシコ、ヨレヨレの服着た乞食みたいな人が来て
呼んでるわよ。」というので下りて行ったら、ジャコメッティが居心地悪そうに
一人で座っていた。

「お詫びにきたけど、この時刻に私がナチュリストに来たなんて信じられない、
迷惑してるんじゃないか、という思いが断ち切れない。」

数日前、私は哲学者で詩人の矢内原伊作さんに夕食を誘われた。彼が日本へ帰る送別
会で彫刻家の夫妻も一緒と聞いていたが、約束の日本料理屋で七時というのに九時ま
で来ないで私をかんかんにさせたのだった。

「そんな事ないわ。夜食に行きましょう。」と、立ち上がると、彼は勘定を言いつけた。
しわくちゃのズボンのポケットからは無造作に包まれた大金がばさばさ音を立てて出てきた。

「描けない。もう続けられないほど疲れて眠る事もできなくて、ここに来た。」
と言う。向かいのカフェ「オ・ピロ」でブドウ酒を飲んで、夜食に取りかかったら気軽に
なったらしく、紙のテーブル掛けに玉乗りの絵を描き始めた。

「今度生まれたら玉乗りになるんだ。」「今までは娼婦になりたいと思っていたけど、
今日レビューを観ていたらマヌカンも悪くないと思ったな。」「嫌な奴でも金があったら
寝ちゃおう。」私たちはキャッキャッと笑いあった。

「私は何になろうかな。歌は刹那的すぎるから、後に残る仕事がしたいわ。
彫刻家になろうかな。」と言ったら、きっとなって、「なりたきゃなっている」と答えた。
「人生は短すぎる。千年生きられたら。後千年生きれば良い仕事が残せるだろう。」
                                  (つづく)

なお、11月に待望の日本語版ジャコメッティドキュメンタリーが出たのでご紹介します。

アルベルト・ジャコメッティ―本質を見つめる芸術家

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Bruxelles

ジャコメッティと二人の日本人、すべての記事にリンクさせていただきました。
こちらの記事タイトルは「石井好子(9): 朝吹登水子」です。

by Bruxelles (2010-10-14 19:26) 

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