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ジャコメッティと二人の日本人(3) [美術史]

石井さんは女性としての立場から、 アネットさんのことを書いています。
知識人ではない人から見たジャコメッティ というのも率直で興味深いですね。

「『今夜このコート着ようかしら。マダム・ボーヴォワール(サルトルの奥さんで思想家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール)からいただいたのよ。』黒いビロードのコートを出して来て羽織ってみせた。洋服掛けには四、五枚、彼女の服がかかっていて、そのほかにジャコメッテイの外出用の黒服が一枚かかっているきりだった。
 
『ジャコメッテイは大金持ちですよ。寡作ですからね。一流の美術館が彼の作品を手に入れたがっていて、どんな大金だって出すんですから。』と、後にある日本人の画家が言った。ナチュリストで無造作につかみ出された札束が目に浮かんだ。しかしその人はあばら屋に住み、服はよれよれ二着という人なのだ。
 
 彼は黙々と仕事をしていた。納得のいく作品を作ることしか念頭になかった。
『ジャコメッティは「たった一つでも作ることができれば私には千の作品が作 れるだろう」と言う。それができなければ彫像は全く存在しないのであって 、目的に近づいていない限り、ジャコメッテイにとっては興味索然たるがらくたがあるばかりである。彼はすべてを壊し、またやり直す。--生命の見事な統一、それは絶対の探求における彼の一徹さである。』 と、サルトルは書いている。
 
 しかし若いアネットがその生活に耐えているのに私は敬服した。彼女は優しかった。
行儀がよく言葉遣いもきれいな人だった。
『優しい?おとなしい?とんでもない。アネットは自分の思ったことは絶対に実行する強い人ですよ。』『結婚反対の私でさえ結婚させちゃうんだから。』
 彼は大まじめで、しかし恐れ入ったよ、というポーズで話した。
 
 そんな時アネットは涙ぐんだが、確かに芯の強い人だったと思う。芯が強くなくてどうしてジャコメッティなどと生活をすることができるだろう。
 
 スイスの街で急に雨が降って来た時、ぬれながら歩いていたジャコメッティに傘をさしかけたのが縁で結ばれたと話した。ジャコメッテイもアネットを愛してはいた。しかし束縛されたくない、仕事の邪魔をされたくないとずいぶん逃げ回ったらしい。二人は仲良く静かに暮らしていた。娘のような年頃なのにアネットは母親のようだった。」
 
 (「想い出のサンフランシスコ 想い出のパリ」所収「千年生きることができなかったアルベルト・ジャコメッテイ」より)   つづく


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