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ピカソと女性たち [美術史]

彦坂氏とのやり取りで、ピカソの作品と女性関係について
補足を求められたので久しぶりに復習してみた。              

〈作品傾向〉          〈女性関係と影響〉                                       
バラ色の時代〜アフリカ時代   フェルナンド・オリビエ(放浪者的生活感〜逞しさ)         
分析的キュビスムの時代     エヴァ(知性、静謐な生活感)                 
総合的キュビズム・古典主義   オルガ・コークローバ(結婚、上流階級の生活感)     
神話(ミノタウロス)悦楽    マリー・テレーズ(ロリータ、中流の生活感)          
戦争・室内画・死の不安     ドラ・マール(知性、社会批判)              
戦後・家族・生の讃歌      フランソワーズ・ジロー(知性、家族の生活感)       
回想・死の恐怖・反知性     ジャクリーヌ・ロック(平穏、歴史、超越的生活感)                                    

こうして見ると個人の何人分もの起伏のある遍歴である。社会的には下流から中流、上流、神話的生活まで網羅し、エロスでは知性、反知性、変態領域まで踏破している。実際に関係のあった女性はこの倍くらいだと思うが、えり抜きの美女ばかりですな。遊び人ではなく、日がな制作に没頭していてこれだから凄い。

今井俊満氏は数ではこれを凌駕しているだろうが、一人一人について深く関わり、彼女らが歴史に名を留めるまでに愛し抜いたという訳には行くまい。もっとも、徹底的に自分の養分にしたとも言えるので、必ずしも幸せにしたという意味ではない。特に結婚したオルガ夫人は離婚を拒否してストーカー化してしまったので彼自身悔いがあったのではないだろうか。彼女との間に生まれた子供たちに対しても成長後は冷たかったらしい。(「マイ・グランパパ ピカソ」小学館)マリー・テレーズやフランソワーズ・ジローとの間に生まれた子供たちは愛らしい姿が作品に反映しているから、子供好きではあったようだ。
 彼の作品はこの視点から見ると、絵日記と言えるほど忠実に生活を反映している。分析的キュビズムの時期でさえ、生活と独立した芸術ではあり得なかった。私小説的とさえ言いたくなるほどだ。しかし女性が変わるたびに造形上の形式の大転換を成し遂げているから、私生活をネタにして変化を付けつつ表現形式を反復し延命する方法とは根本的に違うものに違いない。
 
これらの女性たちとの関わりと作品の相関について現在出ている本で
よく整理されているのは、次の木島俊介氏の著作だろう。
文庫本「女たちが変えたピカソ」と単行本「ミステリアス、ピカソ」、この二つは同じ内容であるが、文庫本の方が図版が多い。

女たちが変えたピカソ (中公文庫)

女たちが変えたピカソ (中公文庫)

  • 作者: 木島 俊介
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 文庫


ミステリアス、ピカソ―画家とそのモデルたち

ミステリアス、ピカソ―画家とそのモデルたち

  • 作者: 木島 俊介
  • 出版社/メーカー: 福武書店
  • 発売日: 1989/04
  • メディア: 単行本


女性達とジャコメッティ(3) [美術史]

 (パオラの記述を読んで)
 パオラ・カローラはジャコメッティが仲介になってジャック・ラカンに師事した女性らしい。だから精神分析医ならではの視線が期待されるけれども、夫妻とは家族に近い交流で、分析的な記述は控えた印象である。アネットとも大変仲が良かったらしい。ジャコメッティもここでは父親のように気遣いながら制作しているようだ。
 しかし彼女が書いているように、制作中は家族とか友人を見る目ではなく「対象」objectとして凝視しているのだろう。この言葉は、ラカンの概念「対象a」を思い出させる。ラカンの学徒である彼女は当然その意を含めて使っていると思うが、いかがだろうか。この時期まさに彼はラカンと親しく交流していたのだ。ラカンの理論とジャコメッテイ作品の関わりは私の手には余るけれど、興味深いテーマだ。
 半年もかけたのだから作品があるはずだが(もっともジャコメッティの場合そう言いきれないけど)、残念ながら彼女の胸像は、私は観たことが無い。


女性達とジャコメッティ(2) [美術史]

パオラ・カローラのノート、つづき
  あの半年間、彼の求めに応じてじっとスツールに座って彼と向き合っているうちに私は、自分が「彼の凝視の対象」と「彼を観察する人間」の両方であることに気がついた。でも私たちの視線がぶつかってしまうことは、決して無かった。視線のやりとりは、アルベルトの仕事のリズムの範囲内で自然に展開したのだ。彼が私に目を向けたとき、私は宙に眼をやった。それから、彼が手元で粘土を形作る事に集中するにつれ、今度は私が彼を観察した。
  観られる対象として、私には見る権利がなかったかもしれないが、(彼の凝視は目の前にいる人を越えてどこか他に旅するのではないかとも思うけれど、)彼の視線が私のそれと出くわしたとしたら果たして何が起っただろうか。
  彼が私に興味がなかったと言う訳ではないが、彼の目が私を個人とみなさなかったというのは事実だから、視線が合ったとしても彼の厳しい凝視を和らげることは難しかっただろう。
  彼は内面的な動機では私を見なかった、つまり私は彼にとって他の誰ででもありえたのだ。モデルをしながらふとそんなことを思ったら、彼は制作中よく喋るのだが自分の話をやめ、突然私に語りかけた。「パオラ、悲しいのか?何かあったのか?嫌なことでも?」と。


女性達とジャコメッティ(1) [美術史]

”THE WOMEN OF GIACOMETTI”より

      ジャコメッティについてのノート
パオラ・カローラ
訳 太田丈

 私は、1958年10月から59年5月まで6ヵ月間、週3回午後2時から日暮れまでアルベルト・ジャコメッティのためにポーズをとった。後になってわかったのだが、それは私の運命を変えた出来事であり、その後長い年月を通じてアルベルトとアネットとの私の友情は、人生の揺るぎない支えになる程の強い絆に深まったのだった。
 
 私はあの伝説のカップルと、私の人生の特別な挿話と言ってよい神話的な瞬間を経験した。そしてそれは今でも、ジャコメッティが遺した作品をじっと見つめているうちにまざまざと蘇る。虚無の空間に佇む、一見対話を拒否しているかのようなあの彫刻みたいに孤立していた一方で、おそらく彼の時代のどの他の偉大な芸術家にもまして、あらゆる世代に語りかけることができた…如何にしてそんなことができたのか、私はしばしば彼の深遠な仕事について驚嘆してきた。


ジャコメッテイ展図録 [美術史]

 2005年にニューヨークで開催された「ジャコメッティの女性たち」展の図録が見つかったので注文した。
 
画家の今井俊満は5500人と寝たと豪語していたそうだが、ジャコメッティも当時のパリの知識人の通例として、婚姻は恋愛を妨げないという立場だった。しかし奥さんのジェラシーやそれに伴うストレスはなかなか否定できるものではない。
端から観ると奥さんが一番素晴らしい女性に思えるのだが、小市民的なモラルの世界を嫌悪するあまり、娼婦たちに魅かれ続けたとも思える。

THE WOMEN OF GIACOMETTI
・CAROLA, PAOLA, LOUISE TOLLIVER DEUTSCHMAN ET AL 【GIACOMETTI : PACEWILDENSTEIN (NEW YORK)】


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